トップ宝石の予備知識有名なダイヤモンド一覧表(100カラット未満)

100カラット未満の有名なダイヤモンド

 世界的に有名なダイヤモンドの内、100カラット未満のものを中心にご紹介します。100カラット以上の大きなものに関してはこちらをご参照ください。

有名なダイヤモンド一覧

 以下でご紹介するのは、その大きさ、または美しさで名声を集める有名なダイヤモンドの中で、100カラット未満のものです。
 大きさを表す数字の単位は「カラット」(carat=200mg)で、数字の横にカッコがある場合は、カット前の原石の大きさを表しています。
 添付した画像は全てWikimedia Commonsよりお借りしています。
 なお、100カラット以上のリストは下のリンクよりお入り下さい。 有名なダイヤモンド一覧表(100カラット以上)
100カラット未満の有名なダイヤ一覧

Briolette of India Diamond

90.38カラット Briolette of India Diamond(ブリオレットオブインディア)  「Briolette of India Diamond」(ブリオレットオブインディア)は、ブリオレットシェイプにカットされたインド産カラーレスのダイヤモンドです。
 その起源は12世紀にまで遡ることができ、フランスのルイ7世の妻であったアキテーヌのエレノアが、記録が残っているうちの最初の所有者だと言われています。
 その後は歴史に名を残す大人物の手に渡りましたが、第三次十字軍を率いた獅子王リチャードやフランスのヘンリー二世などが有名です。
 数百年にわたり歴史から姿を消した時期もありましたが、現在はヨーロッパにあるという噂が流れています。

Shah Diamond

88.7カラット Shah Diamond(シャーダイヤモンド)  「Shah Diamond」(シャーダイヤモンド)は、透明度の高いイエローダイヤモンドで、1450年にインドで発見されたと考えられています。
 3つのファセットには、歴代所有者の文言が刻印されており、1つはシャー・ニザム、1つはシャー・ジェハン、そしてもう1つはナディル・シャーによるものです(シャーとはイラン国王の称号)。
 1829年、ペルシア(現イラン)在住のロシア人外交官が殺害され、ロシアが遺憾の意を表明すると、当時のイラン国王の孫がこの「Shah Diamond」を持参してロシアのツァー(皇帝)に謁見しました。以後、このダイヤモンドは「クレムリン・ダイヤモンドファンド」(Klemlin Diamond Fund)というロシアのダイヤモンドコレクションの1つとして展示されています。

Spoonmaker's Diamond

86カラット Spoonmaker's Diamond(スプーンダイヤモンド)  「Spoonmaker's Diamond」(スプーンダイヤモンド)は、86カラットのペアシェイプダイヤモンドで、トルコのトプカピ宮殿博物館における最も高価な展示物となっています。
 名前の由来には、いくつかの説がありますが、最も有名なのは漁師の話です。イスタンブールの海岸をぶらぶら歩いていた貧しい漁師が、キラキラと輝くガラス玉のようなものを見つけました。何となくポケットに入れて2~3日たったころ、街角の宝石店にその石を見せます。宝石商は「単なるガラス玉」だよと、にべもなく言い放ちますが、しょんぼりする漁師を見て少しかわいそうになります。「せっかくきてくれたんだから、スプーンを三本あげようじゃないか」と言って、3本のスプーンとそのガラス玉を交換しましたが、そのガラス玉が後にダイヤモンドであることが発覚する、とうお話です。

Nepal Diamond

79.41カラット Nepal Diamond(ネパールダイヤモンド)  「Nepal Diamond」(ネパールダイヤモンド)の来歴は定かではありませんが、どうやらインドのゴルコンダ鉱山で発掘されたようです。
 インド産のダイヤモンドは西洋に渡ってしまうのが通例ですが、このダイヤモンドに関してはネパール国内へと持ち込まれました。1957年、ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンがインド人ディーラーからこのダイヤモンドを買い付け、ほんの少しリカットをした後、クリスティーとデビアスが主催した「The Ageless Diamond」(1959年)という展示会で初めてお披露目されました。その後はヨーロッパのどこかに売られたということです。

Archduke Joseph Diamond

76.45カラット Archduke Joseph Diamond(アーチデュークヨーゼフダイヤモンド)  「Archduke Joseph Diamond」(アーチデュークヨーゼフダイヤモンド)は、ハンガリー・ハプスブルグ家の血を引くArchduke Joseph氏が所有していたダイヤモンドです。
 1936年、ヨーロッパ人の銀行家に売られてからは行方知れずでしたが、1961年になってようやくイギリスのオークションに登場します。このときは交渉が成立せず、次に登場するのは1993年、ジェネバのクリスティーオークションでした。このときはMolina Fine Jewelersによって6.487.945ドルで落札されています。歌手のセリーヌディオンや女優のローラハリングが身に着けたことでも有名です。

Idol's Eye

70.21カラット Idol's Eye(アイドルズアイ)  「Idol's Eye」(アイドルズアイ)は、インド、ゴルコンダ鉱山で採れたと考えられているダイヤモンドです。
 初期の来歴については諸説あり、はっきりとはわかっていませんが、記録として確認できるのは、1865年7月14日、ロンドンで開催されたクリスティーズオークションからです。その後、このオークションでダイヤモンドを競り落としたAbdul Hamid IIの召使が、「安全な場所へ安置せよ」との主人の命令に背き、パリにてダイヤモンドを売り払ってしまった、というのが通説になっています。
 1946年になるとハリー・ウィンストンがこのダイヤを買い取り、その後メイ・ボンフィルズ・スタントン女史の手元に渡ります。女史の死後は、遺言にのっとり、「Idol's Eye」を含めた宝石類がオークションにかけられ、その収益は数々のチャリティーに分配されたとのこと。

Taylor-Burton Diamond

68カラット Taylor-Burton Diamond(テイラーバートンダイヤモンド)  「Taylor-Burton Diamond」(テイラーバートンダイヤモンド)は、1969年、アメリカの俳優・リチャード・バートン(Richard Burton)が妻で女優のエリザベステイラー(Elizabeth Taylor)に贈ったことから有名になったダイヤモンドです。
 1966年に南アフリカのプレミア鉱山で発見された原石を、ハリーウィンストンが買取り、69.42カラットのペアシェイプに仕上げました。
 テイラーが1978年に離婚すると、ダイヤモンドはオークションにかけられ、落札金額である5,000,000ドルは、ボツワナにおける病院の建設資金へと回されました。現在のオーナーはロバート・モウアワッド氏(Robert Mouawad)で、彼はダイヤを68.0カラットにリカットしています。

Excelsior I

68カラット Excelsior I(エクセルシオールワン)  「Excelsior Diamond」(エクセルシオールワン)は、1893年6月30日、Jagersfontein鉱山にて発見された971カラットに及ぶダイヤモンド原石です。
 1905年にカリナンダイヤモンド(Cullinan Diamond-3106.75カラット)が発見されるまでは、世界一の座を占めていました。原石は13~68カラットに至る様々な大きさの子ダイヤモンドにカットされ、中でも最大は「Excelsior I」と呼ばれる68カラットのものです。

Black Orlov

67.5カラット Black Orlov(ブラックオルロフ)  「Black Orlov」(ブラックオルロフ)は、67.5カラットの巨大ブラックダイヤモンドです。
 来歴はミステリーに包まれており、一説ではインドのヒンズー教寺院にあった何らかの偶像の「瞳」部分にはめ込まれていたと言います。しかしこの言い伝えには、「Sancy」というまったく別物のホワイトダイヤモンドにまつわる伝説が、どこかで混ざりこんだ可能性も考えられます。
 また一説では、ロシアの「ナターシャ・ペトローヴナ・オルロフ」(Nadezhda Petrovna Orlov)という名の王女が所有していたとも言われており、ロシア革命後、海外へ逃亡する際の資金としてこのダイヤモンドが売り払われた、と推察している人もいるようです。

Noor-ol-Ain Diamond

60カラット Noor-ol-Ain Diamond(ヌーロルエインダイヤモンド)
 「Noor-ol-Ain Diamond」(ヌーロルエインダイヤモンド)は、1958年、イランの皇女が結婚する際のティアラ(小型の王冠)に飾られたピンクダイヤモンドです。
 元はインドのゴルコンダ鉱山で発見されたと考えられており、イランのナダールシャーがインドのデリーへ侵攻した際、他の宝物と一緒にペルシアに持ち帰ったものの1つだと言われています。
 名はペルシア語で「瞳の光」を意味しています。
 より大きなダイヤモンドから切り取られた可能性があり、もう一方の片割れは「Darya-ye Noor」ではないかと推察されています。

Steinmetz Pink Diamond

59.6カラット Steinmetz Pink Diamond(ステインメッツピンクダイヤモンド)  「Steinmetz Pink Diamond」(ステインメッツピンクダイヤモンド)は、「Fancy Vivid Pink」というカラー評価を有する世界最大のピンクダイヤモンドです。
 その希少性ゆえに、カッティングには慎重を要し、職人が8人がかりで最終的には20ヶ月もかかりました。最初に公開されたのは2003年5月、モナコにおいてで、その後はスミソニアン博物館における「Splendor of Diamond」展に「ミレニアムスター」(Millennium Star)や「ハートオブエターニティ」(Heart of Eternity)などと共に登場しています。

Sancy

55.23カラット Sancy(サンシー)  「Sancy」(サンシー)は、淡い黄色をしたダイヤモンドで、そのカッティングからインド原産ではないかと考えられています。
 その歴史は古く、16世紀に実在したフランス人トルコ大使、セニョール・ド・サンシー(Seigneur de Sancy)にまで遡ります。若ハゲに悩んでいた当時のフランス国王アンリ三世は、ド・サンシーからダイヤモンドを借りてキャップの飾りにしたといわれています。後にダイヤモンドはイギリスのジェームズ一世に売られましたが、この頃から元の所有者である「de Sancy」の名がダイヤに冠せられるようになったようです。
 現在はホープダイヤモンド(Hope Diamond)などと共にルーブル美術館のアポロギャラリーに展示されています。

Kimberley Diamond

55.09カラット Kimberley Diamond(キンバリーダイヤモンド)  「Kimberley Diamond」(キンバリーダイヤモンド)は、クラリティ「Flawless」のシャンペンカラーダイヤモンドです。
 南アフリカ・キンバリー鉱山(Kimberley Mine)で採掘されたことからこの名が付いています。
 元はロシア王室の王冠に用いられていましたが、1921年にステップカットにリカットされ、さらに1958年、「Baumgold Bros」の手に渡ってから再びリカットされて現在の55.09カラットに落ち着いています。
 Baumgold Brosは1971年にこのダイヤモンドを売りに出し、とあるコレクターが入手したようですが、名前は公開されていません。

Porter Rhodes Diamond

54カラット Porter Rhodes Diamond(ポーターローズダイヤモンド)  「Porter Rhodes Diamond」(ポーターローズダイヤモンド)は、南アフリカのキンバリー鉱山で採掘されたダイヤモンドです。
 1881年、このダイヤモンドをオスボーンハウスで目にしたヴィクトリア女王は、その余りの美しさに驚嘆したといいます。ダイヤモンドは当初73カラットのオールドマインカットでしたが、その後ロンドンの「Jerwood& Ward」の手に渡り、56.6カラットまでリカットされます。
 更にその後インドのマハラジャ、ウエストミンスター公爵、アメリアの富裕家を経て、1987年「Lawrence Graff」の手に渡り、現在の54.04カラットに仕立てられました。

Star of South Africa

47.69カラット Star of South Africa(スターオブサウスアフリカ)  「Star of South Africa」(スターオブサウスアフリカ)は、ペアシェイプのホワイトダイヤモンドです。
 1869年、南アフリカのZandfontein農場で働いていた羊飼いの少年がたまたま発見しました。少年はこの原石を近くに住むSchalk van Niekerkという宝石好きの人物に売り、羊500頭、牛10頭、そして馬1頭を得ます。
 Niekerkは早速この原石をホープタウンに持って行って56,000ドルで売り、その後ダイヤモンドはLouis Hondというカット職人の手に渡って、現在の三面楕円ブリリアントカットを施されます。
 カッティングされたものはイギリスのダドリー伯爵に買い取られ、伯爵夫人が髪飾りとして愛用していたことから「Dudley Diamond」の異名を持ちます。現在はロンドンの自然史博物館に展示されています。

Hope Diamond

45.52カラット Hope Diamond(ホープダイヤモンド)  「Hope Diamond」(ホープダイヤモンド)は、濃い青色のダイヤモンド(厳密にはfancy deep greyish-blue)で、現在はワシントンD.C.のスミソニアン博物館に展示されています。
 内部にホウ素を含むことから肉眼ではブルーに見えますが、紫外線にさらした後暗闇へ持っていくと赤色を示します。
 1640年~67年にかけて、フランス人のダヴェルニエがインド・ゴルコンダ王国を訪問した際に入手したのが起源と考えられています。その後フランス国王ルイ14世の手に渡り、67カラットにリカットされて「French Blue」と呼ばれるようになったようです。
 時代は下り、1792年、フランス革命のさなかに6人の窃盗団が王室の宝物庫へ押し入り、様々な宝石を略奪しましたが、「French Blue」だけは見当たらず、一時歴史の表舞台から姿を消してしまいます。
 1812年、イギリスのダイヤモンド商人・ダニエル・エリアーソン(Daniel Eliason)の所有していたブルーダイヤモンドが現在のホープダイヤモンドの源流となっています。
 ちなみに様々な呪いと関連付けて語られることが多いようですが、どれも信憑性が薄い眉唾物の話ばかりです。

Nassak Diamond

43.38カラット Nassak Diamond(ナッサクダイヤモンド)  「Nassak Diamond」(ナッサクダイヤモンド)は、15世紀のインドで採掘されたと考えられているダイヤモンドです。
 1500~1817年にかけ、インドの寺院で破壊神シヴァの像にはめ込まれていたという伝承があることから、「Eye of the Idol」、すなわち「偶像の瞳」とも呼ばれています。
 イギリスの東インド会社が、第三次マラータ戦争(1817~1819)の折にこのダイヤモンドを入手し、後にイギリスの宝石商「Rundell and Bridge」に売られたという記録が残っています。
 20世紀に入ると、ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンがパリでこの宝石を手に入れ、現在の43.38カラットに仕立て上げました。

Tereschenko Diamond

42.92カラット Tereschenko Diamond(トレシェンコ・ダイヤモンド)  「Tereschenko Diamond」(トレシェンコ・ダイヤモンド)は、ペアシェイプのブルーダイヤモンドです。
 ダイヤの元の所有者がロシアの砂糖長者・トレシェンコファミリーであることからこの名が付いています。
 1916年、ロシア革命の直前にひそかに国外に持ち出され、それ以後鳴りを潜めてしまいましたが、1984年、ジェネバのクリスティーズオークションで登場し、会場を沸かせました。
 最終的にこのダイヤモンドを落札したのはサウジアラビアの大富豪・ロバート・モウアワッド氏です。

Polar Star Diamond

41.28カラット Polar Star Diamond(ポーラースターダイヤモンド)  「Polar Star Diamond」(ポーラースターダイヤモンド)は、パビリオンに8つのとがった星型と、2mmのフラットキューレットをもつダイヤモンドです。
 左右対称性が完璧に近く、キューレットを中心にして垂直に立てることが出来るとも言われています。元の所有者はナポレオンの兄・ジョセフ・ボナパルトでしたが、その後はロシアのユスポフ家の手に渡ります。
 ユスポフ家のフェリックス・ユスポフは、怪僧ラスプーチンの暗殺を企てると同時に、このダイヤモンドを持って国外に逃亡し、1924年にフランスの宝飾企業カルティエが入手するまで秘密の金庫室の保管していました。
 その後は所有者がたびたび変わり、1980年以降はスリランカの富豪の個人所有となっています。

Dresden Green Diamond

41カラット >Dresden Green Diamond(ドレスデングリーンダイヤモンド)  「Dresden Green Diamond」(ドレスデングリーンダイヤモンド)は、41カラットのグリーンダイヤモンドで、インドのKollur鉱山で採掘されました。
 過去200年にわたってドイツのドレスデン(Dresden)で展示されていたことからこの名が付いています。
 2000年、アメリカの宝飾企業ハリー・ウィンストンがこのダイヤモンドを一時的に入手し、スミソニアン博物館でホープダイヤモンドと共に展示されたことは有名です。
 現在は「Staatliche Kunstsammlungen Dresden」(ドレスデン州立芸術コレクション)で保管されています。

Wittelsbach Graff Diamond

35.56カラット Wittelsbach Graff Diamond(ヴィッテルスバッハグラフダイヤモンド)  「Wittelsbach Graff Diamond」(ヴィッテルスバッハグラフダイヤモンド)は、2008年、イギリスの宝石商「Laurence Graff」によって買い取られたブルーダイヤモンドです。
 元々は「Wittelsbach Diamond」(またはDer Blaue Wittelsbacher)という名で、オーストリア及び、ドイツババリア地方の王冠用宝石として用いられていました。
 インドのゴルコンダ王国で採れたダイヤモンドを、1664年にスペイン国王・フィリップ四世が娘の嫁入り道具の一つとして買い取った、という古い記録も残っています。
 2008年、Wittelsbach Diamondをオークションで競り落としたLaurence Graffは、ガードル部の傷や色合いを向上させるという名目で、リカットを断行します。その結果35.56カラットが35.06カラットまで目減りし、また一部の愛好家からはかなりの非難を受けましたが、カラー評価(Fancy Deep Grayish Blue)、クラリティ評価(Internally flawless)に関しては、共にグレードが上がりました。これを期に、名称が「Wittelsbach Graff Diamond」と変更されています。

Beau Sancy

34カラット Beau Sancy(ボーサンシー)  「Beau Sancy」(ボーサンシー)は、34カラット、ペアシェイプのカラーレスダイヤモンドで、17世紀の名前はフランス人宝石コレクター「Nicholas Harlay de Sancy」に由来しています。
 彼はまた「Sancy」(もしくはGreat Sancy)と呼ばれる一回り大きなダイヤモンドの名前にも登場して混乱しやすいため、「Beau Sancy」を「Little Sancy」と呼んで区別することもあります。
 1604年、大きい方の「Great Sancy」はイギリスのジェームズ一世に、そして小さい方の「Little Sancy」は、イタリアのメディチ家の手に渡り、離れ離れになりましたが、1972年・ヘルシンキで開催された「Two Historic Diamonds」展、および2001年パリの自然史博物館で、長い時を経て再会を果たしています。

Blue Heart Diamond

30.82カラット Blue Heart Diamond(ブルーハートダイヤモンド)  「Blue Heart Diamond」(ブルーハートダイヤモンド)は、ハートシェイプのブルーダイヤモンドです。
 フランス皇帝・ナポレオン三世の妻であり、フランス最後の皇后でもあるユジェニ皇后(empress Eugenie)が所有していたという噂もあることから、別名「Eugenie Blue」とも呼ばれます。
 原産がインドなのかアフリカなのかは定かではありませんが、カッティングを担当したのはフランスのAtanik Ekyanan of Neuillyという企業です。
 1910年に宝飾企業カルティエがこのダイヤモンドを入手したのを皮切りに、アルゼンチンのウンズー婦人、Van Cleef & Arpels(1953年)、ヨーロッパの名家、Harry Winston(1959年)など、様々な所有者の手を経て、最終的にはマージョリー・メリウェザー・ポスト婦人(Marjorie Merriweather Post)がスミソニアン協会へと寄付しています。

Agra Diamond

28カラット Agra Diamond(アグラダイヤモンド)  「Agra Diamond」(アグラダイヤモンド)は、クッションシェイプのピンクダイヤモンドです。
 1526年にインドのアグラ(Agra)を征服したムガール帝国初代皇帝のバーブル(Babur)の息子が、ラジャ(アグラの支配者)の命乞いを受け入れる代わりに手に入れたのがこのダイヤモンドだと言われています。
 1857年、インドで反乱が起こった折、一人の英国人兵士がこのダイヤモンドを国外に持ち出そうとし、馬に無理やり飲み込ませてイギリスまで持ち帰った、という逸話が有名ですが、真偽のほどは不明です。
 1891年、エドウィン・ストリーター(Edwin Streeter)がブラムハーツ(Bram Hertz )からこのダイヤモンドを購入してからは、次々と所有者が変わりますが、1990年、ロンドンで開催されたクリスティーズオークションでは、香港のSIBA Corporationが落札しています。

Heart of Eternity Diamond

27.64カラット Heart of Eternity Diamond(ハートオブエタニティ)  「Heart of Eternity Diamond」(ハートオブエタニティ)は、「Fancy Vivid Blue」のブルーダイヤモンドです。
 カッティングはSteinmetz Groupが担当しました。
 南アフリカのプレミア鉱山原産で、2000年1月に開催された「De Beers Millennium Jewels collection」において「Millennium Star」などと共にお披露目されています。

Graff Pink

24.78カラット Graff Pink(グラフピンク)  「Graff Pink」(グラフピンク)は、「fancy intense pink」という、ピンクのカラーグレードとしては最高評価を得ているエメラルドカットのピンクダイヤモンドです。
 原産は定かではなく、1950年代、ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンが個人コレクターに売ったことがわかっています。次にこのダイヤモンドが表舞台に登場するのは、2010年、ジェネバで開催されたサザビーズオークションにおいてです。
 このオークションでは「Graff Diamonds」社のLaurence Graffが、4,600万ドルという史上最高額で落札しており、名前の由来にもなっています。

Moon of Baroda

24.04カラット Moon of Baroda(ムーンオブバローダ)  「Moon of Baroda」(ムーンオブバローダ)は、24.04カラット、ペアシェイプのカナリーイエローダイヤモンドです。
 インドのバローダ(Barodaは現在のVadodara)で発見されたことからこの名が付いています。
 元々はバローダのマハラジャ(支配者)であるガイクワド王家(Gaekwad )が500年近く所有していましたが、後にオーストリアの皇后・マリア・テレジアに献上されました。
 しかし1860年代になり再びダイヤモンドはガイクワド家に戻され、1920年代になると当時のマハラジャ・Sayajirao Gaekwadがダイヤモンドを売ってしまいます。
 1940年代、Meyer Jewelry Companyの社長だったMeyer Rosenbaum氏がこのダイヤモンドを購入することで再び脚光を浴びます。同氏は女優・マリリンモンローにこのダイヤモンドを寄贈し、「Diamonds Are a Girl's Best Friend」(歌)や「Gentlemen Prefer Blondes」(映画・「紳士は金髪がお好き」)の撮影において用いられました。

Hortensia Diamond

20カラット Hortensia Diamond(オルテンシアダイヤモンド)  「Hortensia Diamond」(オルテンシアダイヤモンド)は、オレンジピンクで五角形にカットされたダイヤモンドです。
 ナポレオン・ボナパルトの義理の娘だったオランダのJosephine皇后の娘として生まれたオランダの女王・Hortense de Beauharnaisの名にちなんで命名されています。
 1792年、Depeyronという名の男によって一度盗まれますが、翌年、男の供述を元にして、とある家屋の屋根裏部屋から「Regent Diamond」などと共に無事回収されました。
 1887年、フランスの王冠に用いられる宝石類の大部分が売り払われましたが、この「Hortensia Diamond」はその歴史的価値に鑑みて国内に保存され、現在もルーブル美術館に展示されています。

Uncle Sam Diamond

カラット Uncle Sam Diamond(アンクルサムダイヤモンド)  「Uncle Sam Diamond」(アンクルサムダイヤモンド)は、アメリカ国内で発見された最大のダイヤモンドに対して与えられたニックネームです。
 1924年、アーカンサス州で発見されたときは40.23カラットあり、名前は、発見者であり「Arkansas Diamond Corporation」の作業員だったWesley Oley Basham氏の愛称からとられました。
 「Uncle Sam」は非常に硬いダイヤモンドだったため、カッティングを担当したSchenck & Van Haelenは、原石から大幅に目減りした12.42カラットのエメラルドカットに仕上げるのがやっとだったそうです。
 カラーグレードは「M」判定ですが、肉眼で確認すると白~淡いピンクに見えることがあります。
 ニューヨーク五番街のPeikin Jewelersが所有していましたが、1971年、ボストンのディーラーを通じて匿名のコレクターの手元に渡って現在に至ります。

Eureka Diamond

10.73カラット Eureka Diamond(エウレカダイヤモンド)  「Eureka Diamond」(エウレカダイヤモンド)は、南アフリカで最初に発見された記念すべきダイヤモンドです。
 Erasmus Jacobsという名の少年によって発見されたときは21.25カラットありましたが、最初は少年のおもちゃだったそうです。
 ダイヤモンドだと判明してからは、1867年のパリ万博にも展示され、ケープコロニー(南アフリカ南部の旧州)の知事だったPhilip Wodehouse卿の手に渡ります。
 ダイヤモンドは卿によってイギリス国内へと持ち込まれ、カッティングを施されました。その後は1946年4月にロンドンで開催されたクリスティーズオークションにおいて落札され、1967年にはDeBeers社がダイヤモンドを入手し、最終的には南アフリカの人々に寄付されています。
 現在は南アフリカのキンバリー鉱山博物館の展示物の1つです。

Pumpkin Diamond

5.54カラット Pumpkin Diamond(パンプキンダイヤモンド)  「Pumpkin Diamond」(パンプキンダイヤモンド)は、5.54カラットの「Fancy Vivid Orange」ダイヤモンドで、世界で最も大きなオレンジダイヤモンドの1つだと言われています。
 原産は中央アフリカ共和国で、後に売買の為南アフリカ国内へと持ち込まれました。
 サザビーズオークションにかけられていたこのダイヤモンドを手に入れたのは、ハリー・ウィンストンファミリーの一員だったRonald Winstonです。彼はダイヤモンドの色合いと、このダイヤモンドを買い取った日がハロウィンの前日であったという偶然に着想を得て、ダイヤモンドを「Pumpkin Diamond」と命名します。
 また、2つのホワイトダイヤモンドにはさまれた形で指輪に配置したデザインのジュエリーは、2002年のオスカー授賞式において、ハリウッド女優のハルベリー(Halle Berry)が身に着けて登場しました。

Ocean Dream Diamond

5.51カラット Ocean Dream Diamond(オーシャンドリームダイヤモンド)  「Ocean Dream Diamond」(オーシャンドリームダイヤモンド)は、「Fancy Deep Blue-Green」というカラー評価を受けたダイヤモンドです。
 放射線照射によって人工的にこの色を作り出すことは容易ですが、自然発生でこの色が出ることは極めて珍しく、世界で最も希少なダイヤモンドの1つとして数えられています。
 原産は中央アフリカ共和国で、現在は「Cora Diamond Corporation」が所有しています。
 スミソニアン協会主催の「The Splendor of Diamonds」展において、「Millennium Star」や「The Heart of Eternity」と共に会場に展示されました。

Moussaieff Red Diamond

5.11カラット Moussaieff Red Diamond(ムサイエフ・レッドダイヤモンド)  「Moussaieff Red Diamond」(ムサイエフ・レッドダイヤモンド)は、「Fancy Red」のカラー評価を受けた5.11カラットのダイヤモンドです。
 1990年、巨大かつファンシーカラーを有するダイヤモンドの産地として有名な、ブラジル・Alto Paranaiba地区の川べりで、一人の農夫が発見しました。
 William Goldberg Diamond Corpによって買い取られた当時は、盾(シールド)型の形状から「Red Shield」と呼ばれていましたが、現在の所有者である「Moussaieff Jewellers Ltd」の手に渡ってからは、「Moussaieff Red」という名前で通っています。

Kazanjian Red Diamond

5.05カラット Kazanjian Red Diamond(カザンジャンレッドダイヤモンド)  「Kazanjian Red Diamond」(カザンジャンレッドダイヤモンド)は、5.05カラットのレッドダイヤモンドです。
 1926年、南アフリカのLichtenburgという地で発見されたときは、35カラットありました。原石はただちにオランダのアムステルダムに送られ、7ヶ月の検討の結果、エメラルドカットに仕上げられます。
 第二次世界大戦のさなか、ダイヤモンドは一時ドイツのヒトラーに押収されたりしましたが、大戦後には無事回収され、著名なダイヤモンドブローカーだったジョージ・プリンズ(George Prins)、アーネスト・オッペンハイマー卿(Ernest Oppenheimer)、Royal Asscher Diamond Company, Ltdなどの手を渡り歩き、1970年、最終的にはカラーダイヤモンドの個人コレクターに買い取られました。
 長い間表舞台からは消えていましたが、2007年、レア宝石の収集で知られる「Kazanjian Bros」のダグラス・カザンジャン(Douglas Kazanjian)が、収集したダイヤモンドの中に偶然このレッドダイヤモンドが混じっていることを発見し、以来「Kazanjian Red Diamond」と呼ばれるようになります。

De Young Red Diamond

5.03カラット De Young Red Diamond(デヤングレッドダイヤモンド)  「De Young Red Diamond」(デヤングレッドダイヤモンド)は、「Moussaieff Red」、「Kazanjian Red Diamond」に続き、世界で三番目に大きなレッドダイヤモンドです。
 元の所有者だったSidney de Youngの名にちなんで命名されています。
 このダイヤモンドは当初、単なる赤いガーネットとして売られていたのを、宝石商だったデヤング氏が買い取りました。ある日、ガーネットにしては傷が少なく、また不自然なほど綺麗な状態であることに不審を抱いた同氏は、宝石を精密鑑定してもらいます。
 結果としてガーネットと思われていたものは、実は世界でも極めて珍しいレッドダイヤモンドであることが判明したのです。
 デヤング氏はこのダイヤモンドをスミソニアン協会の自然史博物館へ寄贈し、現在も展示されています。

Strawn-Wagner Diamond

3.09カラット Strawn-Wagner Diamond(ストローンウェイジャーダイヤモンド)  「Strawn-Wagner Diamond」(ストローンウェイジャーダイヤモンド)は、世界で唯一の「完璧」なダイヤモンドとして有名です。
 1990年、アメリカアーカンサス州のCrater of Diamonds State Parkにおいて、Shirley Strawn氏が発見しました。
 1997年に現在の形にカットされ、AGS(American Gem Society)、及びGIA(Gemological Institute of America)の両団体により、共に「perfect」の評価を受けています。
 10億個に1個と言う大変な希少価値を有しているこのダイヤモンドは、現在アーカンサス州・マーフリズバロにあるCrater of Diamonds State Park にて展示中です。
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